2024、11、10 降誕前第7主日礼拝 牧師 川﨑善三
「暗やみの中の光」 イザヤ9:1~7
旧約聖書の中には、救い主・メシヤについての預言が数多く出てまいります。古くは、創世記3章15節に、メシヤについての預言を見ることができます。主なる神は、女を誘惑して、罪を犯させたへびについて言われました「わたしは恨みをおく、おまえと女のあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に、彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」主なる神は、女から救い主がお生まれになり、悪魔のかしらを砕く、すなわち、悪魔の働きをことごとく粉砕すると言われました。この御言がメシヤ預言の最も古いものであると言われています。旧約聖書には、メシヤに関する預言がたくさん出てまいります。そうした中に預言者イザヤは、メシヤ預言を数多くした預言者で、彼は「メシヤの預言者と呼ばれています。彼の預言活動は、BC745―BC695年に至り、50年という長きにわたって預言をしました。「暗やみの中に住んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った」(イザヤ9:2)ここで言われている暗黒の地とは、ゼブルンの地、ナフタリの地のことであります。ゼブルンとナフタリは、共にイスラエルの12部族のうちのふたつであります。この地は、アッシリヤ帝国の侵入の際、一番最初に「はずかしめを受けた地」であり、この地が一番最初に回復されるという預言であります。主なる神の御心は、悲しむ人々の涙をぬぐい取って下さることです。
イエスさまは、こう言われます「悲しんでいる人たちはさいわいである。彼らは慰められるであろう」(マタイ5:4)嘆き悲しんでいる人々を、私たちはどうして慰められるでしょうか。その悲しみの大きさに、かける言葉さえないような時があります。しかし、イエスさまは、こう言われたのです「悲しんでいる人は、よかったね。その人は神さまから慰められますよ」。ヨハネ黙示録には、こう書いてあります。「見よ、神の幕屋が人と共に住み、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐい取って下さる」(黙示録21:3、4)天国には、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもなく、そして、涙もありません。主なる神が、涙をぬぐい取って下さるからです。天国は、聖徒たちが毎日神さまを讃美する歌声でいっぱいであります。そのような神の救いの始まりが、ゼブルンの地、ナフタリの地から始まると言うのです。このような、慈しみ深い神のみわざが、今日も、世界中の至る所で見ることができます。私たちの知らない所で、神の救いのみわざが始まっています。「暗やみの地に住んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った」イエスさまは、私たちを救うためにお生まれになりました。この世の中で生きていくために、戦い疲れる私たちに安息を与えるために、暗やみ、暗黒の地に住んでいる人々に、光と安らぎを与えるために。
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