2025、1、5 降誕節第2主日礼拝 牧師 川﨑善三
「わたしの父の家」 ルカ2:41~52
人の人生は、嬰児期、幼児期、少年時代、青年、成人、壮年そして老年へと時が進んでまいります。ルカによる福音書は、唯一、イエスさまの少年期について語ってくれています。「イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された」(ルカ2:52)イエスさまの少年時代が目に浮かんでくるような気がします。おそらく、ルカは母マリヤから直接聞いたか、それともマリヤが語った資料を手に入れたものと思われます。それは、イエスさまが12歳の時の出来事であります。イエスの両親、すなわち、ヨセフとマリヤは信仰深い人たちであつたので、その当時ユダヤ人たちが熱心に守っていた過越の祭の宮もうでを欠かすことはありませんでした。その年も、ヨセフとマリヤは少年イエスを連れてエルサレムへ上りました。過越の祭そのものは、金曜日の夜から始まって土曜日の夕方に終わるものであります。それは、ユダヤ人の先祖たちが、モーセに率いられてエジプトの国を出た時の故事にしたがって催される祭でありました。「あなたがたは、こうして、それを食べなければならない。すなわち腰を引きからげ、足にくつをはき、手につえを取って、急いでそれを食べなければならない。これは主の過越である」(出エジプト12:11)エジプトの国から、ユダヤ人の先祖が解放される時がやってきました。その日の夜、すなわち、1月14日から15日にかけて、神さまは恐るべきことを行われました。エジプトの国のういごと言うういごを打ち、上はパロの子からはしための子に至るまで、すべてのういごを打ち殺されたのであります。その時、小羊の血をかもいに塗っているイスラエルの家は過ぎ越されて難を逃れました。その祭は、イスラエルの人々が奴隷から自由の民になったと言うことをお祝いするための祭でした。ユダヤ人はその祭に一家をあげてエルサレムに上ってきたのです。祭が終って帰るとき、イエスさまはエルサレムに残っておられたのですが、両親はそれに気づかず一日路を行ってしまいました。夕暮れになって、イエスさまがいないことに気がつき、捜しまわりながらエルサレムに引き返しました。そして、三日後に宮の中で、教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけました。母マリヤは言いました「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい。おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」すると、イエスさまは答えられました「どうしてお捜しになったのですか。わたしが父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」聖書に記された最初のイエスさまの言葉であります。イエスさまは、この時、神を「わが父」と呼ばれました。エルサレムの神の宮は、イエスさまにとって、父の家でありました。私たちにとっての「父の家」は、どこにありますか。教会こそ、私たちの父の家であります。イエスさまが言われたように、私たちも「父の家にいるはずのことをご存じなかったのですか」と告白できるものとなりたいと思います。
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