2025、1、12 降誕節第3主日礼拝 牧師 川﨑善三
「神の証明」 マタイ3:13~17
イエスさまは、ナザレを出て、ヨルダン川のヨハネの所に来られました。ヨハネは、メシヤが来られることは知っていましたが、イエスさまがその方であるということを始めから知っていたわけではありません。ヨハネが、ヨルダン川でユダヤ人たちに水のバプテスマを授けていることは、国中の評判になっていました。そこで、エルサレムから祭司たちやレビ人たちが、ヨハネのもとに来て尋ねました。「あなたはどなたですか。キリストなのですか」ヨハネは、「わたしはキリストではない」と言いました。彼は言います「わたしは『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声で』である」(ヨハネ1:20、23)ヨハネは、謙遜な人でした。自分は「声」に過ぎないような存在だと言ったのです。そのようなヨハネでしたが、彼はメシヤが来ることは知っていましたがイエスさまがその方であるとは知りませんでした。「わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』」(ヨハネ1:33)ヨハネは、イエスさまの上に御霊が下られるのを見ました。イエスさまは、ヨハネの所に来て彼からバプテスマを受けようとされました。ヨハネは驚いてしまいます。「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに」。しかし、イエスさまは言われました「今は受けさせてもらいたい。このように正しいことを成就することは、われわれにふさわしいことである」正しいこととは、神さまの御心にお従いすることです。神さまは、福音を信じて、罪を言い表して、バプテスマを受けることを定められて、私たちにもこの順序をたどるように勧めておられます。イエスさまは、その正しい順序にお従いなさったのです。まさに、主は「おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿となられた」(ピリピ2:7)そして、水から上がって、祈っておられると、天が開け、神の御霊がはとのようにイエスさまの上にお下りになりました。そして、天から声がありました。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」イエスさまは、12歳のとき、神の子としての自覚をすでに持っておられましたが、このときの神さまの御声と御霊の内住は、力強い証となりました。ヨハネは、この時、最も荘厳な光景を見たのです。天が開けて、父の御声が聞こえ、聖霊なる神がお下りになり、そこに子なる神イエス・キリストがおられる、三位一体の神が一同に会しておられたのであります。この出来事こそ、神の証明と言えるでしょう。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」このことを境にして、イエスさまは公生涯に入られました。
|