2025、1、26 降誕節第5主日礼拝 牧師 川﨑善三
「賞賛された人」 マタイ11:1~14
ひとりの人間の値打ち、その人の価値というようなものは、いつ、どこで、誰によって評価されるのでしょうか。主イエスはひとつのたとえを話されました。ある金持ちと貧乏人ラザロの話であります。金持ちは、紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていました。ラザロは、全身ができ物でおおわれて、この金持ちの玄関の前にすわり、その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいました。その上、犬がきて、彼のでき物をなめていました。やがて、この貧乏人が死に、御使いたちに連れられて、アブラハムのふところに送られました。金持ちも死んで葬られ、この人は黄泉に行き、火炎の中で苦しみもだえていました。聖書のなかで、死後の世界について語られている所は、数が本当に少ないのですが、その貴重な話のひとつと言えます。ここで、主イエスは、神がどんなに憐み深い方であるかを教えて下さいます。それと共に、ひとりの人間の値打ちは、死んだのち、神の御前において正しい評価が、神によって下されるということです。それは、そのとおりでありますが、イエスさまと言うお方は、本当に多種多様な側面をお持ちになっておられます。イエスさまが、ひとりの人をみんなの前でほめておられるのであります。洗礼者ヨハネの使いの者が帰ってしまったあとで、ヨハネについて、この人はすばらしい人であると褒められたのです。あなたがたは、ヨハネを見ようと荒野にいる彼の所へ来たのではなかったのか。あなたがたは、一体、彼をどんな人だと思っているのか。彼は、その時の状況によって生き方を変えるような人であつたか。それは、風にゆらぐ葦のような優柔不断の妥協的な人物だと思っているのか、そんな人ではないと、あなたがたは知っているはずである。それでは、何を見に出てきたのか。あなたがたも、キリストは王として来られると思っているなら、ヨハネもまた、王宮にいる者のように柔らかな着物をまとっていたであろう。しかし、ヨハネはらくだの毛ごろもを着、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物としていた。柔らかな着物をまとった人を見たいと思うならば、王宮に行け。では、あなたがたは、ヨハネをどのような人であると信じて、彼の所に言ったのか。あなたがたは預言者を見るために彼のところに行ったのだ。彼は預言者以上のものである、と主は言われました。確かに、ヨハネは懐疑的になりました。主イエスに「来たるべき方は、あなたですか」と尋ねました。しかし、彼はイエスさまから直接、お言葉をいただきたいという激しい飢え渇きを持っていました。その点を、イエスさまは認められて彼を賞讃されたのであります。「天国は激しく襲われている。そして、激しく襲う者たちが、それを奪い取っている」神さまに対する飢え渇き、それも激しく襲うほどの飢え渇きを、私たちも持ちたいものであります。
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