2025、4、20        復活節第1主日礼拝       牧師 川﨑善三

「キリストの復活」                    ヨハネ20:1~18

イエス・キリストの十字架と復活は、その福音の最も大事な出来事であります。主は、五回にわたって、ご自身の受難と復活を預言されました。主は、大祭司の家で僕たちに嘲りからかわれました。「彼らは、イエスを死にあたるものと断定した。そして、ある者はイエスにつばきをかけ、目隠しをし、こぶしでたたいて、『言いあててみよ』と言いはじめた」(マルコ14:64,65)イエスさまは、どのような苦しみの中にあっても、なされるがままになっていました。それは、聖書の預言が成就するためでありました。「彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった」(イザヤ53:7)そして、ピラトによって、死刑の判決を受けて、ゴルゴダの丘でふたりの犯罪人と共に十字架につけられ、朝の九時から始まった十字架刑は昼の三時には、その頂点に達しました。「イエスは大声で『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタ』と叫ばれた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」(マルコ15:34)本当ならば、私たちが神の審きを受けて、見捨てられるはずの所を、イエスさまが私たちに代わって、神さまに見捨てられたのです。そして、「すべてが終わった」「わたしの霊を御手にゆだねます」と言われて、息をひきとられました。十字架からおろされたイエスさまのお体は、アリマタヤのヨセフとニコデモが亜麻布でまいて、まだ誰も葬られたことのない新しい墓に納められました。そして、土曜日の一日が終わり、日曜日の朝、マグダラのマリヤと他のマリヤとが墓を見にきました。それは、婦人たちが、改めてイエスさまの体に香料を塗るためでした。女たちは、道々「だれがわたしたちのために墓の入口から石をころがしてくれるでしょうか」と話し合いながら、墓に行きました。墓に着く、少し前に大きな地震がありました。そして、女たちが墓に着くと、石はわきにころがされていました。マグダラのマリヤが墓の中をのぞくと、イエスさまの体が見当たりません。マリヤは、ペテロとヨハネの所へ走っていきました。このふたりは、この事を聞いて墓に走っていきました。ペテロは墓の中に入って、イエスさまのお体がないことを確かめました。ヨハネの同様でした。ふたりは、それを見てマリヤの言ったことを信じました。しかし、ペテロとヨハネは主の復活を信じたわけではありません。マリヤは、墓の外に立って泣いていました。よみがえられたイエスは、『女よ、なぜ泣いているのか』尋ねられました。マリヤは「だれかが、わたしの主を取り去りました」と答えました。すると、イエスさまは「マリヤよ」と言われました。マリヤはふり返って「ラボニ」と言いました。マリヤにとって何よりも慕わしいイエスさまの御声を聞いたのです。どんなに嬉しいことだったでしょうか。イエスさまは言われます、「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28:20)イエスさまは、いつも私たちと共にいてくださるためによみがえられました。