2025、7、27     聖霊降臨節第8主日礼拝      牧師 川﨑善三

「わたしを受けいれる」                  マルコ9:30~37

イエスさまは弟子たちに、かなり早い時期から十字架の死についてお話になりました。

「イエスは人に気づかれるのを好まれなかった」(マルコ9:30)イエスさまは表だって人の前に、ご自身を現わすことをなさいませんでした。それは、ユダヤ人の多くがイエスをキリストと信じることができなかったからです。人々がイエスの教えやイエスさまに対する信仰を持つことができなかったとしても、それでイエスさまの伝道がとどめられるわけではありませんでした。福音は、時がよくても悪くても、宣べ伝えられていくべきものでありました。

「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。この日は言葉をかの日に伝えこの夜は知識をかの夜につたえる」(詩篇19:1、2)イエスさまの働きは世界の片隅から始まりました。それは小さな働きでした。だれが、イエスさまの教えに聞き、その約束を信じることができたでしょうか。たった12人弟子たちによって福音は全世界に宣べ伝えられていきました。「話すことなく、語ることなく」その声もきこえないような小さいものであっても、その響きは全地にあまねく、世界の果てに及ぶ力あるものでした。しかし、その始まりは小さなものであったのです。

イエスさまを受け入れ、神さまをうけいれている人人々は、神さまにうけいれられているのです。「わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世のはじめから、あなたがたのために用意されている御国を受け継ぎなさい」(マタイ25:34)