2025、8、3 聖霊降臨節第9主日礼拝 牧師 川﨑善三
「主に従う道」 申命記10:10~13
申命記という名称は、第2律法という意味の英語Deuteronomyという語であり、ギリシャ語では律法の再述と言う言葉です。これから、カナンの地に入ろうとするイスラエルの人々に、神との契約を思い起こさせようとするモ-セの三つの説教を収録したものです。イスラエルの人々は、40年の荒野の終わりにさしかかっていました。ヨルダン川の手前モアブの野に達した時、モ-セは、すでに120歳になっていました。目はかすまず、気力は衰えていませんでしたが、神から、“あなたは約束の地カナンに入ることなく、主のみもとに召される”と言うことを示されていました。モ-セの気持ちを考えれば、いたたまれなくなります。エジプトから、民を導き出す時にも、彼はどんなに苦労した事でしょうか。40年間、荒野で民を導いた時も、モ-セは、彼らにどんなに手こずらされたことでしょうか。そうした苦労に報われることなく、カナンの地をピスガの頂きから眺めるだけで、そこに入ることは許されなかったのです。この世において、報われなかった神の僕たちがたくさんいることに、私たちは気づかされます。しかし、それらの人々は悲しみのうちにその人生を終えたのではありません。「これらの人はみな、信仰を抱いて死んだ。まだ約束のものを受けていなかったが、はるかにそれを見て喜び」(へブル11:3) “はるかに、それを見て喜び”という言葉は、ピスガの頂きよりヨルダンの向こうに広がるカナンの地を望み見た、モ-セその人を言い表しているようです。これこそ、信仰者のあるべき姿を言い表していると言えます。さて、このような時にモ-セがイスラエルの人々に最後に、何を言い残そうとしたのでしょうか。「イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求められる事は何であるか。ただ、これだけである。すなわち、あなたの神、主を恐れ、そのすべての道に歩んで、彼を愛し、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に仕え、また、わたしがきょうあなたに命じる主の命令と定めとを守って、さいわいを得ることである」(申命記10:12、13)同じく、申命記6章にも出てきます。「イスラエルよ、聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない」(4、5節)旧約聖書全般において、語られている言葉が律法です。十戒は、エジプトを出たイスラエルの民に、神が与えられた戒めです。その主旨は、イスラエルの民が幸いな生涯を送るための秘訣が示されています。主は言われます、“わたしは、あなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である”。だから、“あなたがたは、わたしのほかに、なにものをも神としないはずだ”。神を愛するということは、いつでも神さまのことを思うことです。イエス・キリストを愛するということは、いつもイエスさまのことを思うことです。“イエスさまから離れたら、やっていけない”このような信仰を持たせていただけることが、どれほど幸いなことかを悟らせていただきたいものです。
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