2025、9、7 聖霊降臨節第14主日礼拝 牧師 川﨑善三
「迫害される弟子たち」 マルコ13:1~13
私たちは、大きな建造物に心惹かれる傾向があります。ノアの洪水のあと、最初の王となったニムロデの時、人々は天にも届く、高い塔を建築しました。バベルの塔と言われています。ノアの洪水の記憶が残っていた人類は、再び滅ぼされることのないように高い塔を建てて、いざという時、その塔の頂きに上って助かろうと考えたのかも知れません。人々の心に、自分たちの力を誇る気持ちがありました。しかし、それは神さまの喜ばれることではありませんでした。神さまは、人の言葉を乱され、互いに言葉が通じないようにされました。人は大きな建造物に心惹かれ、それを誇るというような事を、たびたびしてきました。主イエスが宮から出ていかれるとき、弟子のひとりが言いました「先生、ごらんなさい。なんという見事な石、なんという立派な建物でしょう」姫路城の城壁の石垣を見るたびに、同じようなことを思います。昔の人が、こんな立派なものを作って、私たちに残してくれたことを思えば、人に自慢したくなるのも当然です。この時の神殿は、ヘロデ大王が四十六年もかかって建てたものでした。しかし、イエスさまは言われました「あなたは、これらの大きな建物をながめているのか。その石一つでもくずされないままで、他の石の上に残ることもなくなるであろう」石の上に、石が残っていると言うことがないような徹底的な破壊が行われると言われたのです。弟子たちは驚いてしまいました。エルサレムの町を出ていかれたイエスさまは、オリブ山へ行き、エルサレムの神の宮に向かって、すわっておられました。イエスさまの胸のうちにあった思いは、どんな思いだったのでしょうか。主イエスは、最後の一週間、エルサレムの都で大勢のユダヤ人たちに福音を宣べ伝えられました。しかし、その主の招きに応じて神を信じた者は多くいなかったのです。すぐ、そこまで滅びが迫って来ているのに、彼らはその事を悟らなかったのです。イエスさまの心の中には、ユダヤ人たちに対する深い憐みと、たとえ、いくばくかでも救いがもたらされることを願い、祈っておられました。そんな主イエスのお気持ちが「宮に向かってすわっておられる」という御言葉の中にあらわされているようです。その時、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに主に尋ねました「いつ、そんなことが起こるのでしょうか」そこで、主イエスは言われました。エルサレムの滅亡、終末に関すること、世の終わりにどんなことが起こってくるのか、そして最後が来て、イエスさまの再臨があると言われました。それからクリスチャンが迫害されると言われました。「あなたがたは、わたしのために、衆議所に引きわたされ、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対してあかしをさせられるであろう。こうして、福音はすべての民に宣べ伝えられねばならない」迫害を受けたクリスチャンは、全世界に広がっていきました。その事を通して、福音は全世界に宣べ伝えられていきました。多くの先輩が迫害を受け、信仰を守り通して主のみもとに召されていきました。私たちも、このあとに続く者とされています。
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