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2025、9、14 聖霊降臨節第15主日礼拝 牧師 川﨑善三
「目をさましていなさい」 マルコ13:28~37
その土地、その土地に特有の気候があり、風土の違いがあります。パレスチナ地方、すなわち、ユダヤ人の住んでいる土地柄は、いちじくの木が至る所に茂って実を結ぶ豊かな地でありました。かって、神さまはモーセに言われました「わたしが、あなたがたに与えるカナンの地は、乳と蜜の流れる地である」40年間、荒野で生活していたイスラエル人にとって、この表現は非常に魅惑的な言葉でした。しかし、神さまはそのお言葉のとおり、いちじくだけでなく、他の産物も豊かに実る地を、彼らに与えて下さいました。ユダヤ人は身近にあるいちじくの木について、詳しく知っていました。夏が近づくと、その枝が柔らかになり、また青々とした葉がめばえ、大きくなって枝をかくすほど繁ってまいります。そして、夏が来て実を結ぶのです。夏の到来は、いちじくの木を見ているならわかってまいります。それと同じように、イエス・キリストの再臨する時には数々のしるしが現れて来ると、イエスさまは言われました。偽キリストの出現、戦争、地震、ききん、クリスチャンに対する迫害、そして、地球規模の大きな患難時代の到来です。「その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう」キリストの再臨と共に、今、私たちが目で見ている世界が揺り動かされてなくなり、全く新しい世界が現れます。イエスさまは「この天地は滅びるであろう」と言われます。ノアの洪水によってその当時の世界が滅ぼされてしまったように、この世界がなくなってしまいます。私たちにとって、そんなバカな事が起こるはずはないと思うかも知れませんが、実際にそれは起こります。すでに、近年の大きな災害を見れば、その事が事実であることを悟らされます。この時代が滅びの時を迎えるであろうと言うことは確実です。それに対して、イエスさまは私たちに「目をさましていなさい」と言われます。ここで、強調されていることは、再臨に備えての信者の心得と言うことです。信者の第一の心得は、時のしるしを見てキリストの再臨が近いことを知ることです。信者の第二の心得は、この時のしるしを見分けるために、目をさましていることです。それは、信仰の怠惰を戒め、常に緊張した心をもってキリストの再臨を待ち望むことです。十人のおとめの譬えに出てくる思慮深いおとめのように、余分の油を準備して花婿を待つことです。いざという時、遅くなった時のことを考えて、それに対する準備をする、それが「目をさましている」と言うことの内容です。「その日、その時はだれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる」その時がわからないと言うことは緊張感が伴います。信仰をおろそかにしておられない、たえず緊張感をもって信仰に励む必要があります。「だから、目をさましていなさい。いつ、家の主人が帰ってくるのか、夕方か、夜中か、にわとりの鳴くころか、明け方か、わからないからである」キリストは、必ず再臨されます。私たちは、いたずらに騒ぎあわてることなく、再臨の信仰に立って、現在の信仰をかえりみて、改めるべき所は改めて、その時を待ち望んでまいりましょう。
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