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2026.1.25 説教「神の摂理を信じる」要旨 ローマ8:26~30 田添禧雄 全能の神が私たちの背後で「万事が益となる(ローマ8:28)」ように働いておられる「摂理」につい て教えられたい。 1.「創造主(つくりぬし)を信じる」ことが摂理信仰 私たちは主日礼拝で「使徒信条」を告白しているその第1の「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。」これが摂理信仰である。神は今も万物を創造し、維持し、導き、目的を達成するために創造の業をしておられることを信じることが摂理信仰である。「こすずめも、くじらも、空の星も、造られた方をたたえて歌う。」(『讃21』425) 2.摂理は「神のご計画」 ルツは、畑で落ち穂拾いをしたが、そこは、「はからずも」ボアズの畑であった。これが縁で、ボアズはルツをめとり、ひとりの男の子を産んだ。ボアズの家系にエッサイの子ダビデが生まれる。異邦人のルツはダビデの先祖すなわちイエス・キリストの先祖になったのである。「はからずも」は偶然ではなく、神の摂理であり、神のご計画の御手がルツの上にあったとしか考えられない。 3.摂理としての「神の介入」 王妃に選ばれたユダヤ人エステルは、ハマンによるユダヤ人撲滅の勅令が出た時、おじのモルデカイがエステルに「あなたがこの国に(王妃として)迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」(エステル4:14)」と言う。つまり、神がユダヤ人を救うためにエステルを王妃に立てたのである。彼女は決死の覚悟で王の前に出て、勅令の取り消しを願い、受け入れられる。エステルのゆえに何十万人ものユダヤ人が救われたのである。この神の摂理としての介入によって歴史が変わったのである。 アブラハムのイサク奉献(創世記22:9~13)は典型的な神の摂理の出来事であった。アブラハムは「神が備えて下さる」こと、すなわち神の摂理を信じて止まなかったのである。摂理という言葉は、この創世記22:14の「アドナイ・エレ」(神みずから備えてくださる)に由来する。 4.摂理は「神の愛の働き」 ヨセフは、かつて自分を売った兄たちに、仕返しでなく、それを摂理の業と信じ愛の行為で報いた。「神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です。」(創世記45章)と言い、さらに「あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。」(創世記50:20)正にヨセフ物語は「神の愛の摂理物語」である。 神の摂理を信じる者は、「わたしの時はあなたのみ手にあります。」(詩篇31:15)と「キリスト・イエスにおける神の愛」を信じてすべてを委ねる者である。実に摂理は愛に満ちた神によるご計画と導きである。 |
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