2026、4、5                        牧師 川﨑善三

「キリストの復活」                     マタイ28:1~10

その日の朝の出来事については情報が錯綜しています。数人の女の弟子たちが、墓に行きました。その中で、マグダラのマリヤの名が、必ずと言ってよいぐらいに、出てきます。

マグダラのマリヤは、女の弟子の間では、ペテロのような存在でした。「また悪霊を追い出され、病気をいやしされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ」(ルカ8:2)要するにマリヤは、その当時、到底、癒されることのないような病いを、イエスによって癒していただいたと言うことで、他の誰よりも、主を愛する熱心な弟子のひとりでした。マグダラのマリヤとほかのマリヤが、イエスさまの納められてある墓へ行きました。彼女たちは、イエスの体に香料を塗るために行きました。この香料は、死者の体に塗るもので没薬と言う香料でした。イエス誕生のとき、東から来た博士たちが、幼な子に捧げた宝物の中に、没薬がありました。彼女たちは「誰が、わたしたちのために墓の入口から石をころがしてくれるでしょうか」と言いました。ところが、彼らが墓に着く直前に、大きな地震がありました。そして、彼女たちが墓に着くと、墓の入口の石は、わきにころがされ、墓は空いていました。その時、女たちの前に、いなずまのように輝き、その衣は雪のように真白な天使が現れました。墓の番人は、恐ろしさの余り、震えあがりました。女たちも、同じようにおびえ恐れましたが、御使は言いました。「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、もうここにはおられない。かねて言われたとおり、よみがえられたのだ」「なんじら、懼るな」番人たちの恐れていることについては、御使は慰めることはありませんでした。しかし、イエスを信じる女たちには、すぐに、声をかけ、慰め、励まして下さいます、「なんじら、懼るな」と。神さまは、私たちにも言われます「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」イエス・キリストの復活は、その事自体が信じられないような出来事であるので、ギリシャ人たちは、そのことを信じようとはしませんでした。「死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは『この事については、いずれまた聞くことにする』と言った」(使徒17:32)また、コリントの教会の中にも、復活について信じないという者が出てきました。しかし、私達たちは、今日も、イエス・キリストの復活を信じています。全能の神に不可能はありません。また、神の御子が、空しく、墓の中に朽ち果てるというようなことを、父なる神がなさるはずがありません。「あなたがたは、イエスを不法の人々の手で、十字架につけて殺した。神はこのイエスを死の苦しみから解き放ってよみがえらせたのである」(使徒2:23、24)キリストの復活は、私たちにとって、大きな喜びであります。