2018、1、7                     降誕節第2主日礼拝       牧師 川﨑善三

「エルサレム訪問」                             ルカ 2 : 41~52

イエスさまの幼少期についての記録は、ほとんど伝えられていません。母マリヤは、イエスさまが生まれる前の天使の告知、生まれた時の羊飼いの来訪、東の国から来た博士たちの話、幼な子を連れてエルサレムに上った時シメオンと女預言者アンナに出会ったこと等を伝えました。しかし、それ以上の話については皆無と言えます。しかし、イエスさまが十二歳の時にあった出来事は、イエスさまが神の子としての自覚をこの時から持っておられたということを、私たちに知らせる大事な事件でした。「さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた」ユダヤ人の男性は、一年間のうち三度エルサレムに上らなければなりませんでした。過越の祭、七週の祭、仮庵の祭の三回です。イエスさまの両親は、神をおそれ敬う敬虔な信仰を持っていましたので、このことを忠実に守っていました。イエスさまが両親と共に、エルサレムに上ったのはこの時が始めてではなかったようです。ところが、この時、記憶にとどめられるような出来事が起こったのです。十二歳という年齢は、特別な意味がありました。ユダヤ人の男の子は、十二歳になると律法を学び始めます。また、宮もうでの際に行われた断食などの宗教的行事に参加できるようになるのも、この年齢でした。イエスさまはエルサレムに来たのは、この時が初めてではなかったものの、大人と同じ扱いを受けることができるようになったという喜びは、この時が初めてでした。イエスさまのこの喜びは、宮の中で出会う人々、特に教師たちが話す話を聞いて、聖書に対する強い関心が呼び起こされました。やがて、過越の祭が終わりました。ヨセフとマリヤは家路につきました。一日路を行ったとき、イエスがいないことに気がつきました。両親は捜しまわりながら、エルサレムへ引き返しました。そして、三日の後に、イエスが宮の中で教師たちと話しているのを見つけました。マリヤは言いました「どうしてこんな事をしてくれたのですか。おとう様もわたしも心配してあなたを探していたのですよ」ふつうの親子関係をあらわす、マリヤの言葉です。すると、イエスはこう答えたのです。「どうしてお探しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」聖書に出てくるイエスさまの最初の言葉です。そして、この言葉は、イエスさまがこの頃から神の子として生まれたという自覚を持っておられたという事を、私たちに教えてくれます。イエスさまは、神さまを「父」と呼ばれました。イエスさまはこの事を人から教えられたわけではありません。イエスさまは、父なる神のことを思うとき他に何事も考えることができなくなりました。両親のことも忘れてしまうほどの熱心をもって、教師たちにいろいろと質問しました。それは時間をも忘れてしまうほどの楽しい時でした。イエスさまは「神の子」としての自覚をもって、聖書を熱心に学ばれました。
 私たちも、神の子とされています。「彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」(ヨハネ1:12)私たちは神の子とされています。私たちも聖書を学ぶことに熱心でありたいと思います。