2018、10、14    聖霊降臨節第22主日礼拝    牧師  川﨑善三

「ピラトの判決」                         マルコ 15:1~15

 イエスさまを十字架につけて殺そうとする祭司長たちは、夜が明けるとすぐに会議を開いて、これからどうしょうかと協議しました。過越の祭がその日の夕方から始まろうしていたからです。彼らはイエスさまの刑の執行をすみやかに実行しようとして、ロ-マ総督ピラトのもとにイエスさまを引き渡しました。刑の執行にはロ-マ総督の決定が必要だったからです。ピラトはイエスさまにたずねました。「あなたはユダヤ人の王か」ユダヤ人の議会での罪状は神を汚したということが死罪の理由でしたが、ピラトの裁判ではその内容が変わっていました。「わたしはユダヤ人の王である」と言ったことが死罪になると言うのです。それはロ-マに対する反逆罪ということです。
 しかし、イエスさまは一度も暴力に訴えて暴動を起こしたわけではありません。人々を煽動したこともありません。ロ-マに税金を納めるべきではないと言われた事もありません。イエスさまは、何の力もない、ただひとりの無力な人として、ピラトの前に立っておられたのです。「あなたはユダヤ人の王か」と言う問いかけに、イエスさまは「そのとおりである」とお答えになりました。
 イエスさまは、この地上でユダヤ人の王として立ち、人々をロ-マから解放し新しい国を興そうとしてこの地上に来られたわけではありません。神の子キリストが、私たちを救うためにこの地上に来られたのです。ですから、すでにイエスさまはユダヤ人のための救い主であり、ユダヤ人の王であられたのです。しかし、そのような霊的な意味の言葉として、ピラトが理解できるはずはありません。ピラトは、祭司長たちがイエスを死刑にしようとしているのは、ねたみのためであることがわかっていました。
 ピラトは、祭のたびごとに囚人のひとりをゆるしてやることにしていました。そこで、イエスをゆるそうとして、群衆に言いました。「おまえたちはユダヤ人の王と言っているこの人をゆるしてもらいたいのか」ところが、この時、暴動を起こし人殺しをして、獄につながれているバラバという人がいました。祭司長たちは群衆を煽動し、バラバの方をゆるしてもらうようにしていたのです。そのとおり、群衆は「バラバをゆるせ」と叫び始めました。その声はだんだん大きくなり、ヒラトは手のつけようがなく、暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言いました「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末するがよい」ピラトは判決を出すことを放棄してしまいました。
 ピラトは決して劣っている人ではありません。政治家として有能な人であり、洞察力のある人でした。しかし、正義を守ろうとする強い心の持ち主ではなかったのです。優柔不断なひとりの人と正義のために立ちつくすイエスさまとが、対比して描かれています。私たちはピラトと同じ弱い人間です。しかし、そんな私たちをイエスさまは救ってくださるのです。