2018、2、18              受難節第1主日礼拝       牧師 川﨑善三

「パンくずでも」                            マルコ7:24~31

 イエスさまの言動を、いつも批判的に見ている人々がいました。パリサイ人、律法学者たちは、イエスさまを非難する材料を見つけようと付きまとっていました。あるとき、エルサレムからやってきたパリサイ人たちは、イエスさまの所に来て観察していました。彼らは弟子たちのふるまいを見て言いました「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まないで、不浄な手でパンを食べるのですか」弟子たちが、手を洗わないでパンを食べていました。それを見たパリサイ人は、神に対して、汚れたものになってもいいのですかと言ったのです。イエスさまは、もちろんですが、弟子たちが関心を持っていたのは、心の問題です。私たちの心がどうあるべきか、私たちの心が神に対して、いつも清い心でいるかどうか、それが神を信じる人々にとっては、大事なことでした。ですから、弟子たちは、洗わない手で食事をするということはあまり注意していなかったのです。イエスさまは言われました「あなたがたは偽善者である。口さきでは神を敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間のいましめを教えとして教え、無意味に神を拝んでいる」イエスさの所には、イエスさまの言われることを批評するだけに来る人と、真剣に救いを求めてくる人の両者がありますが、パリサイ人たちは信じようとしない人々でした。そのような人々との問答に、イエスさまは失望されてその地を離れられました。
 「さて、イエスは、そこを立ち去って、ツロの地方に行かれた。そして、だれにも知られないように、家の中にはいられた」(マルコ7:24)パリサイ人たちの心のかたくなさを嘆かれたイエスさまは、一時的に人を避けようとされました。「だれにも知られないように、家にはいられた」と言う言葉に、イエスさまの失望、落胆の様子があらわされています。私たちも、イエスさまの語りかけに無関心、無感動であれば、イエスさまは悲しんでおられると思います。ところが、そのように悲しんでいるイエスさまを、喜ばせるような事がありました。ツロの地方の、その地方出のカナンの女がイエスさまのことを聞きつけてやってきました。「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください」この人は、イエスさまを救い主と信じていました。しかし、イエスさまはこの女の叫びに答えて下さいませんでした。弟子たちは「この女を追い払ってください」と言いました。すると、イエスさまは言われました「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」しかし、この女は諦めません。「主よ、わたしをお助けください」イエスさまは「子どもたちのパンを取って、小犬に投げてやるのは、よろしくない」と言われました。すると。女は「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」と言いました。
 この人は、本当に謙遜な人です。このように謙遜な人の願いを、神さまが軽んじられるようなことは決してありません。本当の信仰は、謙遜な心に宿ります。イエスさまは、女に言われました「その言葉で、じゅうぶんである」たとえ、異邦人であっても神を信じる信仰があるならば、神さまはそれに答えて下さいます。信仰の勝利です。