2018、3、25             受難節第6主日礼拝       牧師 川﨑善三

「ゲッセマネの祈り」                      マルコ14:32~42

受難週の一日一日をたどってみたいと思います。まず日曜日のことです。イエスさまと弟子たち一行がエルサレムに近づいたとき、イエスさまはふたりの弟子を呼び、こう言われました「向こうの村へ行きなさい。すると、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いて、わたしのところに引いてきなさい。もし、だれかがあなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのですと言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」ふたりの弟子がつかわされた村には、イエスさまが乗ってエルサレムに入るための子ろばが、すでに準備されていました。そのろばの所有者は、いきなり見知らぬ人がやってきて、子ろばを引いていこうとしたので問いただしました。あなたがたは、どうして子ろばを連れていこうとするのですか。すると、弟子たちは言いました。「主がお入り用なのです」この場合の主という言葉は、神さまと言う意味です。神さまのご用のために使わせてくださいとお願いしたのです。すると、心よく使わせてもらえました。
 イエスさまがそのろばの子に乗ってエルサレムに入られたのが、日曜日のことです。月曜と火曜は、神殿に出かけられて、いろいろと話されました。火曜日の夕方、エルサレムの町を出てベタニヤ村に帰ろうとする時、弟子たちは宮の建物を指さして言いました「こんなすばらしい神の宮は、どこに行っても見当たりません」すると、イエスさま言われました。「あなたがたは、これらすべてのものを見て誇っているが、よく言っておく。その石一つでもくずされないままで、他の石の上に残ることもなくなるであろう」エルサレムの神殿が、粉々に破壊されるという事を預言されました。そして、弟子たちが「いつ、そんなことが起るのでしょうか」と尋ねると、イエスさまはそのことがまじかに迫っていると言われ、世の終わりについても話されたのが、火曜日の夕方のことです。水曜日は、ベタニヤ村で静まりの時を持たれました。
 そして、いよいよ受難日の前日、最後の晩餐の時をエルサレムの市内の家で過ごされ、食事の後、ゲッセマネの園に行かれました。イエスさまは弟子たちに言われました「わたしが祈っている間、ここにすわっていなさい」祈りの応援があるという事は、大変うれしいことです。昔、モーセがアマレクとの戦いで手を挙げて、神さまに祈りました。モーセの手が下がってくるとアマレクの勢いが増し、モーセの手が上がるとイスラエルの勢いが増しました。やがて、アロンとホルが両脇からモーセの手が下がらないように支えたので、イスラエルはアマレクを破ることができました。この事は、祈ることの重要性と祈りの応援が必要なことを教えてくれます。イエスさまは弟子たちに「あなたがたも、私が祈っている間、祈ってください」言われたのです。
 イエスさまは恐れおののき、また悩みはじめて、弟子たちに言われました。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである」イエスさまには、十字架の死という光景が見えていました。死そのものも、大きな苦しみですが、それよりも大きな苦しみが待ちうけていました。それは、神に捨てられるという苦しみです。「どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」このイエスさまの祈りと従順によって、十字架があるのです。このことをしっかりと受けとめ、イエスさまに感謝しましょう。