2018、3、4             受難節第3主日礼拝       牧師 川﨑善三

「 パ ン種 」                                                  マルコ8:11~21

聖書の中には、パンについての話題がよく出てきます。古今東西を問わず、私たちの命を支える食べ物について関心を持つのは当然です。エデンの園では果物を食べていました。それから農作物を食べるようになり、ノアの洪水の後、肉を食べるようになりました。人類の食生活は、そのような変化の過程を経ながら現在の私たちの食生活が形成されていきました。イエスさまの時代、人々の食生活は甚だ貧弱なものでありました。粗末なパンと青草や魚が、人々の食べ物でした。
 「そのころ、また大ぜいの群衆が集まっていた」(マルコ8:1)イエスさまのガリラヤ地方での宣教は、病人を癒すという奇跡を伴っていました。その反響は大きく、大ぜいの人々にその事が伝えられていきました。「イエスは、この事をだれにも言ってならぬと人々に口止めをされたが、口止めをすれでするほど、かえって、ますます言いひろめた」(マルコ7:36)群衆はなかなか帰ろうとしませんでした。ひとりびとりが、イエスさまに助けていただきたい、問題を解決していただきたいと思って、集まってきていたので、みんながイエスさまと話をしたいと列をなして順番を待っているというような状態でした。ところが、この群衆を解散させて家に帰らせようとされた時、イエスさまはこう言われました「この群衆がかわいそうである。もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない」(マルコ8:2)イエスさまは、人々の心の問題だけでなく、その体のことも心配して下さっているのがよくわかります。
 そして、七つのパンをもって四千人の人々を養って下さいました。それから、ダルマヌタの地方へ行かれました。すると、パリサイ人たちが出てきて、イエスさまを試みようとし議論をしかけ、天からのしるしを求めました。この人々はパンの奇跡について知っているはずでした。もし、彼らが純真な心であるならばパンの奇跡を信じることができたはずです。しかし、彼らは最初から偏見と悪意で満ちていました。神に対する信仰が真実なものではなかったのです。
 神さまからの愛といつくしみを受けとめることのできる人は、神さまに愛の心をささげることによって答えようとします。しかし、パリサイ人たちは自分の義を建てて、イエスさまを陥れようとして「天からのしるし」を見せてくれ、そうすれば信じようと言ったのです。このような人々に対して、神さまは何のしるしも与えられません。信じる人々には、イエスさまの十字架と復活が神さまからのしるしです。私たち信じる者にはそれで十分です。イエスさまはパリサイ人たちの不信仰に、深い失望を憶えられました。舟に乗って向こう岸へ行かれる時、イエスさまは言われました「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とを、よくよく警戒せよ」パリサイ人の教えとヘロデ党の教えに警戒せよと言われたのです。パリサイ人の教えとは、神に対する不信、偽善、形式主義、律法主義のことです。それは不信仰そのものです。ヘロデ党の教えとは世俗主義、物欲主義、金欲主義のことです。この世での快楽を求める生き方です。この世を愛する人の心の中には、神に対する愛がありません。
 神と富にかねつかえることはできないのです。パリサイ人のパン種、ヘロデのパン種が私たちの内にあるかないかを点検しなければなりません。悪いパン種を取り除いて、純真な心で神を信じていきましょう。