2018、5、6        復活節第6主日礼拝        牧師 川﨑善三

「父のみもとに」                        ヨハネ16:12~24

イエスさまは、弟子たちと別れなければならないことを、予告しようとされました。その事が起こったとき、弟子たちがあわてふためき、心がまどわされて信仰を失ってしまわないようにという配慮からでした。この別れは、弟子たちに大きな悲しみをもたらすことになりました。彼らは希望を失い、部屋に閉じこもり、だれひとり、これからどうすればよいか、考えられないような状況に陥りました。彼らの信仰が試される時でもありました。しかし、その悲しみは喜びに変わりました。イエスさまが復活されたからです。「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう」(ヨハネ16:20)十字架の死によって、悲しみに打ちのめされる弟子たちが、復活によって再び大きな喜びに満ちあふれるようになると言われました。それから、キリストの昇天による別れがやってくると言われます。しかし、このときの別れは悲しむべき事ではありません。イエス・キリストが父なる神のみもとに行かれたことを知り、私たちの信仰が強くされるときであるからです。「わたしは父から出てこの世に来たが、またこの世を去って、父のみもとに行くのである」(ヨハネ16:28)キリストの復活と昇天は、御子イエスが父のみもとを出て、この世に来て下さったこと、そして贖いのみわざをなし遂げて父のみもとにお帰りになったことであり、それは神さまのご計画に他なりません。そして、父のみもとに行かれたならば、ご聖霊が弟子たちの所に来て下さると言われました。「わたしが去っていくことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去っていかなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう」(ヨハネ16:7)キリストの昇天がなければ、ご聖霊はお降りになりません。ペンテコステの日に、ご聖霊がお降りになったと言うことは、キリストが父のみもとに行かれたことの証です。ご聖霊は、父と御子からつかわされて弟子たちの上に注がれたのです。ご聖霊は真理の御霊と呼ばれます。御言の真理を悟らせて下さるからです。「み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます」(詩篇119:130)ご聖霊は、祈りの霊です。「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けてくださる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである」(ローマ8:26)ご聖霊は、私たちを祈らせて下さいます。祈れなくなれば、私たちに代わって祈って下さいます。私たちは何を求めることが、神に喜ばれるのでしょうか。聖書は富を求めよとは言いません。知恵を求めよと言います。「主を恐れることは、知識のはじめである」(箴言1:7)
 神を信じ、神を畏れ敬い、神にお従いしていくことが知恵のはじめです。ご聖霊の満たしにあずかるとき、私たちは神をもっと知りたいという願いが起されるのです。