2018、6、17             聖霊降臨節第5主日礼拝       牧師 川﨑善三

「弟子たちの派遣」                          マルコ6:1~13

 イエスさまは、年およそ30歳で公けの生涯に入られました。生まれ育ったナザレの町を出て、預言者としての生涯に入られたのです。イエスさまは最初、ガリラヤのカペナウムに行かれました。そして、ガリラヤの町々、村々で福音を宣べ伝えられました。その時、アンデレとヨハネ等がイエスさまの弟子になりました。また、ガリラヤのカナで水をぶどう酒に変えるという最初のしるしを行い、その栄光を現されました。ガリラヤでの伝道が一区切りついて、イエスさまは郷里に帰ってこられました。「イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って行った。そして、安息日になったので、会堂で教えはじめられた」(マルコ6:1,2)
  ユダヤ人は、会堂で誰でも聖書から話すことができました。普通は、ラビと呼ばれる人が聖書の御言を教えてくれました。そうした人でなくても、神さまからお言葉を受けたならば、だれでも民衆に語ることができました。この時、イエスさまに手渡された聖書はイザヤ書でした。「主の御霊がわたしに宿っている。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、主のめぐみの年を告げ知らせるのである」(ルカ4:18,19)神さまのめぐみの年が来た、誰でも悔改めて神に立ち帰るならば、慰められ、いやされ、心に自由が与えられるとお話しになりました。
 ナザレの町の人々はイエスの変わりようを見、その教えと知恵を聞いて驚きました。「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵は今まで聞いたことのないものだ」そう言って、感心しました。しかし、人々はイエスさまにつまずきました。「この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」イエスさまをその外側だけを見て、神からつかわされた預言者であると信じることが出来なかったのです。イエスさまは言われました「預言者は自分の郷里では歓迎されないものである」そう言われて、ナザレの町では力あるわざを一つもすることがおできになりませんでした。不信仰な人々は、本来ならば見ることのできる神さまの働きを見ることができず、信じる者に与えられる神さまの祝福を受けることができないのです。イエスさまは大変、失望されましたが、その働きは続けられました。「それからイエスは、付近の村々を巡りあるいて教えられた。また十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつ、つかわすことにして」(マルコ6:6,7)イエスさまがユダヤの国で目にした光景は、群衆が飼う者のない羊のように弱り果て、倒れているというものでした。
 福音は世界の果てまで伝えられるものですが、イエスさまおひとりで、それをなさる事はできません。それで、弟子たちの派遣が必要となってきました。イエスさまが、弟子たちを伝道のためにおつかわしになったように、今日、私たちにも「福音を宣べ伝えなさい」と言われます。