2018、6、24              聖霊降臨節第6主日礼拝       牧 師 川﨑善三

「イエスの悲しみ」                            マルコ6:14~31

私たちの心の中には良い心と悪い心が、共存しているという現実があります。その典型的な出来事が、聖書に記されています。それはバプテスマのヨハネが殺されたいきさつを語る場面です。バプテスマのヨハネはヘロデ王の悪行を非難したことで、王の怒りをかって捕えられました。「ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた」(マルコ1:14)ヨハネの宣教が中断されてしまいました。そのあとを受けて、イエスさまの宣教活動が始まりました。そして、イエスさまの活躍は国中の人々が知るところとなりました。そのうわさは、ガリラヤの領主ヘロデの耳にも届きました。ある人々は、「預言者エリヤの再来だ」と言い、また「昔の預言者のような預言者だ」と言いました。ところが、ヘロデはイエスのうわさを聞いて「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言いました。ヘロデは、数か月前にヨハネを殺した時の事を思い出したのです。ヨハネは、ヘロデに捕えられて獄中に閉じ込められていました。ヨハネは、ヘロデの結婚について「それはよろしくない」と非難したからです。ヘロデは自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤと結婚していました。ヘロデヤが誘惑したのか、ヘロデが強奪したのか、わかりませんが、それは明らかに非難されるものでした。ヨハネは、公然と「それはよくない」と言ったのです。ヘロデは、ヨハネを殺す気はなかったかも知れません。しかし、ヘロデヤはヨハネを恨み、殺そうと思っていました。ヘロデは、ヨハネを恐れ、またその教えを聞いて悩みながらも、ヨハネの話を喜んで聞いていました。ここに、ひとりの心の弱い人がいます。善を行おうとする心を持ちながら、悪いことを行ってしまう、心の弱い人、それがヘロデです。
 「わたしの肉の内に、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は自分にはあるが、それをする力がないからである。すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている」(ローマ7:18,19)私たちの心の中には、良い心と悪い心が共存しています。イエス・キリストを信じて新しく生まれかわらなければ、良いことをしたいと言う思いを持っていても、いつも悪いことばかりを行ってしまうのです。ヘロデがその典型的な人でした。ヨハネを恐れ、その教えを喜んで聞くという面があるかと思えば、自分の罪を責められると、ヨハネを殺そうという気持ちが湧いてくるのです。「ところが、よい機会がやってきました」悪いことを行うのにチャンスがきたというのです。ヘロデの誕生日を祝う宴会が催され、ヘロデヤの娘が舞をまいました。ヘロデはその褒美に何が欲しいかと尋ねると、娘は母ヘロデヤに相談しました。「バプテスマのヨハネの首を」。ヘロデは衛兵をつかわし、ヨハネの首を持ってくるように命じました。「イエスはこのことを聞くと、舟に乗ってそこを去り、自分ひとりで寂しい所に行かれた」(マタイ14:13)私たちは、主の悲しみに同情することができない時があります。主と共に喜び、主と共に悲しむ者となりましょう。