2018、7、15     聖霊降臨節第9主日礼拝   牧師 川﨑善三

「不信仰なわたし」              マルコ9:14~24 

 聖書には、信仰の勇者と言えるような人が何人も出てきます。神の人モーセ、預言者エリヤ、モアブの女ルツ、それから新約聖書ではローマの百卒長、ツロフェニキアの女等が信仰の勇者と言えるような人です。しかし、そのようなすばらしい信仰を持っている人ばかりが世の中にいるわけではありません。普通の人、信仰のうすい人、全然信仰のないような人がたくさんいるわけです。私たちも、最初から強い信仰があってイエスさまを信じたわけではありません。私たちは、神さまの事、罪のこと、救いのことは何にもわかっていなかったのです。今日の聖書個所は、ごく普通の人がイエスさまの所にきた話です。 その人はイエスさまの留守中にやって来ました。息子の病を癒してもらおうと来たのです。イエスの弟子たちは福音を宣べ伝え、病人を癒し、悪霊を追い出す権威を授けられていました。ですから、霊を追い出すことができると思って、やってみました。ところが、何の効果もなく霊につかれている息子の状態はいっこうに良くなりませんでした。大勢の群衆は弟子たちの無力をなじり、律法学者もこの時とばかり非難しました。そんな所にイエスさまが帰ってこられたのです。「あなたがたは何を論じているのか」霊にとりつかれている息子を連れてきた父親は言いました「先生、口をきけなくする霊につかれているわたしの息子を連れてきました。そしてお弟子たちにこの霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした」イエスさまは言われました「ああ、なんという不信仰な時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか」その場にいる人全体に、イエスさまは言われたのです。律法学者も群衆も、弟子たちもみんなに信仰がないことを嘆かれました。特に、弟子たちに信仰がなく、無力であったことが嘆きの大きな一因です。 わたしはいつまでも、あなたがたと共にいるわけではありません。やがて、わたしは父のみもとに帰らなければなりません。いつまで、あなたがたは信仰がないのですか、いつまで我慢をしなければならないのですかと主は言われたのです。人々は、その子をイエスさまの所に連れてきました。すると、霊がその子をひきつけさせ、子は地に倒れ、あわを吹きながらころげまわったのです。イエスさまは、「いつごろから、こんなになったのか」と尋ねられました。父親は「幼い時からです。霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて殺そうとしました。しかし、できますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」イエスさまは言われました「もしできれば、と言うのか。信ずる者にはどんな事でもできる」もし、できればと言う言葉はできないと思う不信仰な心を表していると言えます。イエスさまは彼の不信仰を砕いてくださいました。「もし、できればと言うのか」父親はすぐに叫んで言いました「信じます。不信仰なわたしをお助けください」私たちは、この父親と同じです。不信仰を悔改めましょう。