2018、8、19    聖霊降臨節第14主日礼拝   牧師 川﨑善三

「神の忍耐」                        マルコ 12:1~12

二千年前のユダヤ人社会において、どういう日常生活が営まれていたかを知る手かがりとして、イエスのたとえは非常に参考になります。マルコ11章、12章は受難週の出来事です。日曜日にイエスさまはエルサレムに入城されました。翌日、神の宮に行き、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出し、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをとがめられました。そして、言われました「わたしの家はすべての国民の祈りの家ととなえられるべきである」イエスさまが、神の宮をきよめられたのはこの時が二回目のことです。ヨハネ二章でも神の宮をきよめられています。三年前のことです。そして、三年後にも同じように神の宮をきよめられたのです。心から悔い改めて生まれ変わらなければ、人の心は、またもとの罪を犯し続ける状態へともどってしまいます。この事は、よほど注意しなければいけないことです。そして、火曜日にイエスさまは神の宮に上られました。すると、祭司長、律法学者、長老たちが、イエスさまのもとに来て言いました「何の権威によって、きのう、あのような乱暴なことをしたのですか。だれがそうする権威を授けたのですか」すると、主は言われました「一つだけ尋ねよう。それに答えてほしい。そうしたら、何の権威によってわたしがこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであったか」祭司長たちは互いに論じて言いました「もし天からだと言えば、なぜ信じなかったのかとイエスは言うだろう。しかし、人からだと言えば、群衆にひどい目にあうだろう」そこで彼らは「わたしたちにはわかりません」と答えました。イエスさまは「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい」と言われました。そして、彼らにひとつのたとえを話されました。ある資産家が、ぶどう園を造りました。それを農夫たちに貸して、旅に出かけました。やがて、収穫の季節になったので、ひとりの僕を送って収穫の分け前を取り立てさせようとしました。すると、農夫たちはその僕をつかまえて、袋ただきにし、から手で帰らせました。そこでまた他の僕を送りましたが、今度はそれを殺してしまいました。そのほか、なお大ぜいの者を送りましたが、彼らを打ったり、殺したりしました。そこで、主人は考えました。わたしの愛子をつかわせば、農夫たちはその子を敬ってくれるだろうと思って、その子を送りました。すると、農夫たちは「あれはあととりだ。さあ、これを殺してしまおう。そうしたら、その財産はわれわれのものになるのだ」と言い、彼をつかまえて殺してしまいました。神さまはユダヤ人たちが罪を悔改めて神に立ち帰るよう、預言者を何回も送り続けられました。しかし、人々は預言者を迫害し、殺したのです。そして、最後にひとり子をも殺してしまったのです。神さまは忍耐の限りをつくして、今も私たちに救いの手を差し伸べておられます。救いの門は。まだ開かれています。