2018、8、26     聖霊降臨節第15主日礼拝      牧師 川﨑善三

「適切な答」                          マルコ 12:28~34

  イエス様の所にはいろいろな人がやってきました。病気の人、目の不自由な人、足の不自由な人、重い皮膚病を患っている人等がやってきました。また、取税人や遊女というようなユダヤ人社会から差別され、疎外されている人々もイエスさまの所にやってきました。これらの人々は、イエスさまに何んらかの形の助けを求めてやってきたのです。イエスさまは、これらの人々に、その求めと願いに応じて癒しと解決を与えて下さいました。それは、まるで神さまが弱い私たちをかえりみ、助けて下さっているようでした。「律法はモ-セをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである」(ヨハネ1:17)イエスさまのなさった数々の癒しと奇跡は、神の愛と恵みを私たちに示して下さっていると言えます。困っている人々、救いを求める人々がイエスさまの所に来たように、真理を求める人もやってきました。ユダヤ人の指導者ニコデモも、イエスさまの所にやってきました。また、パリサイ人とヘロデ党の者がイエスさまの所に来て尋ねました。「カイザルに税金を納めてよいでしょうか。いけないでしょうか。」彼らはイエスさまをためそうとしたのです。イエスさまは、デナリを持ってきて、見せなさいと言われました。「これは、だれの肖像、だれの記号か」と言うと、彼らは答えました「カイザルのです」すると、イエスさまは言われました、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。この世のものはこの世の君に、神のものは神に返すということです。この世の規則、ルールに従う事は神を信じる者にとっても大事なことです。続いて、サドカイ人が尋ねました。「律法には、『ある人の兄が死んで、その残された妻に子がない場合には、弟がこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』と書いてあります。ここに七人の兄弟がいて、長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、次男がこの女をめとって、また子をもうけずに死に、三男も同様でした。七人とも子をもうけずに死にました。最後にその女も死にました。彼らがよみがえった場合、この女はだれの妻なのでしょうか」。サドカイ人は復活を信じていないのに、イエスさまにこんな質問をしたのです。イエスさまは、私たちが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。私たちは天使のような存在になると言われました。地上での夫婦という特別な関係はなくなり、みんなが互いに愛し合うような世界が実現するというのです。すばらしい世界だと思います。このあと、ひとりの律法学者が、事の一部始終を見て、わたしも質問しようという気持ちになって尋ねました、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」イエスさまは答えられました。第一のいましめはこれである「イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ」。第二はこれである、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」。神に対する愛と、人に対する愛はひとつです。神を愛する人は、人をも愛します。