2018、9、9       聖霊降臨節第17主日礼拝      牧師  川﨑善三

「葬りの用意」                            マルコ 14:1~11

 イエスさまを殺そうとする人々がいました。エルサレムのユダヤ人、特に祭司長たちやパリサイ人たちがイエスさまを殺そうと考えていました。そんな中、彼らの殺意を決定づける出来事が起こりました。それはベタニヤ村のラザロが死んでしまっていたのを、イエスさまが生き返らせたという出来事でした。「大声で『ラザロよ、出てきなさい』と呼ばわれた。すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた」(ヨハネ 11:43,44)ベタニヤ村でこの事が起こったのです。
   このことを聞いた人々は、イエスさまを信じるようになりました。エルサレムのユダヤ人は、これは大変なことになると思いました。みんながイエスを信じるようになり、イエスがイスラエルの独立のために立ちあがろうとでも言ったなら、ローマ人がやってきて我々の土地も人民も奪ってしまうであろう、そう考えたのです。すると、大祭司カヤパが言いました「あなたがたは、何もわかっていないし、ひとりの人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになるのが、わたしたちにとって得だということを考えてもいない」(ヨハネ 11:49,50)この言葉は、イエスを殺せばいいのではないかと言うことです。イエスを殺せば、この国の住民は滅ぼされないようになる、すなわちイエスの死によって全国民が救われると言うことです。これは、イエスさまの十字架のあがないによって私たちは救われると言ったことになりました。神さまは、彼に贖いの秘儀を預言させたのです。そして、彼らはこの日からイエスを殺そうと相談するようになりました。このような状況の中で、ひとつの出来事がありました。イエスさまはベタニヤ村の重い皮膚病を患っていたシモンの家に招かれました。イエスさまが食卓についておられたとき、ひとりの女が純粋なナルドの香油を持ってきて一滴残らず、イエスさまの頭に注ぎかけました。すると、ある人々が憤って言いました「なんのために香油をむだにするのか。この香油を売ったなら三百デナリ以上になったであろう。そうすれば、たくさんの貧しい人々を助けることができたのに」そして女をきびしくとがめました。しかし、イエスさまはこの女のしたことを絶賛されたのです。「なぜ、あなたがたは彼女をとがめるのか。この人はわたしによい事をしてくれたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのだ。よく聞きなさい。全世界のどこででも福音の宣べ伝えられるところでは、この女のしたことも記念として語られるであろう」この女のしたことをとがめたのは、イスカリオテのユダであったことが記録されています。ユダはイエスさまから叱られたのです。イエスさまに期待してついてきたユダは、その期待を裏切られ、自分の言ったことも退けられて、イエスさまを裏切ろうと思いました。「イスカリオテのユダは、イエスを祭司長たちに引きわたそうとして彼らの所に行った」(マルコ 14:10)イエスさまのために香油を注いだ女と、イエスさまを裏切ったユダの姿が対照的に描かれています。この女のしたことを、私たちは深く味わい、私たちの信仰生活に生かすことができますように。